1. 研究の背景と目的
近年、健康意識の高まりとともに、フルマラソンやハーフマラソンなどの持久走レースの参加者が世界的に増加しています。これに伴い、レース中に発生するスポーツ関連の突然の心停止(Sr-SCA)が社会的な関心を集めています 。先行研究では、Sr-SCAは稀であるものの、男性の方が女性よりも圧倒的に発生率が高いことが示されてきましたが、その詳細なメカニズムや男女差の背景は十分に解明されていません 。 本研究は、パリで過去10年間に開催された主要な持久走レースのデータを網羅的に解析し、心停止の発生率、臨床的特徴、原因(病因)、男女差、およびレース中のパフォーマンス(加速パターン)との関連を調査することを目的としています 。
2. 研究の方法
本研究では、2011年から2024年(パンデミックの2020年を除く)の期間にパリとその近郊で開催された「パリ・フルマラソン」、「パリ・ハーフマラソン」、「パリ20km」の3つの主要レースを対象としました 。 解析には、パリ突然死専門センター(SDEC)のレジストリデータと、レースの公式リザルトデータの2つを用いています 。対象としたのは18歳以上の参加者で、非外傷性の心停止症例を抽出しました。また、ハーフマラソンについては5kmごとの通過タイムが記録されているため、特に「最後の1km」における加速率と心停止リスクの関連を詳細に分析しました 。
3. 主要な結果
(1) 発生率と男女差
約120万人の完走者のうち、合計17件の心停止(SCA)が確認されました 。
- 全体的な発生率: 非常に低く、10万人あたり0.9〜2.2件の範囲でした 。
- 性別による違い: 17件中15件(88%)が男性で、発生率は男性が100万参加あたり16.9件、女性が5.7件であり、男性の発生率は女性の約3倍に達していました 。
- 年齢: 平均年齢は42歳(±13歳)でした 。
(2) 原因(病因)の分析
生存者に対して行われた精密な医療検査(心臓MRI、冠動脈造影、遺伝子検査など)の結果、以下のことが明らかになりました 。
- 原因特定: 全体の約半数強(52.9%)で原因が特定されました。最も多かったのは虚血性心疾患(5名)で、他にブルガダ症候群、心筋炎、冠動脈の解剖学的異常などが各1名でした 。
- 不明(特発性): 驚くべきことに、47.1%(8件)の症例では、広範な検査を行っても直接的な原因が特定されず、特発性の心停止と判断されました 。
(3) 生存率と予後
救急体制が整った環境下での発生であったため、極めて良好な結果が得られました。
- 生存率: 病院退院時の生存率は88%(15/17名)でした。女性は2名とも生存しました 。
- 神経学的予後: 生存者のほとんど(15名中14名)が、最も良好な神経学的状態であるCPC 1(自立した生活が可能)で退院しました 。
(4) レース終盤の過剰なリスクと走行パフォーマンス
本研究の最も顕著な知見の一つは、心停止がレースの「最後の1km」に集中していることです 。
- リスクの集中: 20kmレースとハーフマラソンでは、心停止の多くが最後の1kmで発生しており、その地点でのリスクは他の地点と比較して15.2倍高いことが示されました 。
- 加速パターンの男女差: ハーフマラソンの走行データ解析の結果、男性は女性に比べて最後の1kmで大幅に加速する傾向(時速2km以上の加速)が約2倍高いことが判明しました 。この男性特有の「ラストスパート」による身体的・精神的な負荷が、心停止リスクを高めている可能性が示唆されています 。
4. 考察と結論
研究チームは、持久走中の心停止は極めて稀であり、迅速な救護体制(専門チームの配置)があれば生存率は非常に高くなることを強調しています 。 一方で、原因不明の症例が約半数に上ることは、事前のスクリーニングだけでは完全にリスクを予知できない可能性を示しています 。特に男性に顕著な、終盤の過度な加速といった行動要因が、生理的な限界を超えて心臓に負担をかける要因となっている可能性があり、ランナー自身のセルフコントロールや、リスクの高い終盤地点への医療スタッフの重点配置が重要であると結論づけています 。
- 著者名: Richard Chocron, Thomas Laurenceau, Pierre Cezard, et al.
- 論文タイトル: Characteristics of sudden cardiac arrest during endurance racing: a decade of the Paris registry
- 雑誌名: ESC Europace
- 出版年: 2026年
- 巻(Volume): 28
- 論文番号: euaf313
